姫路藩の大庄屋として
地域の政治と文化の中心的存在

三木家の歴史について
三木家は英賀城主の子孫とされ、のちに飾磨(現姫路市)で
飾磨津屋と称する酒屋を営んでおりました。
そこから、明暦元年(1655)、姫路藩主の新田開発の
呼びかけに応じ、初代利通が辻川(現福崎町西田原)へ
移り住んだと伝えられています。
当店でも使用させていただいているこの家紋が
三木家の家紋です。
3代善政から8代通済まで、江戸時代を通じ、代々姫路藩の
大庄屋を務め、地域の発展に大きく貢献しました。

地域の政治と文化の中心的役割に
また、歴代の当主は学芸に深い関心を持ち、三木家には好学の
家風が育まれました。なかでも5代痛庸、6代通明・7代通深は、
文化の担い手としても中心的役割を果たしました。
8代通済の時代に明治維新を迎え、明治4年(1871)に播但一揆の
襲撃を受け、明治7年には生野鉱山寮馬車(銀の馬車道)建設工事
による表門・南土塀の建て替えを行っています。
敷地内には主屋をはじめとする9棟が現存し、当時の面影を残した
江戸時代の屋敷構えとその生活の一端をうかがう貴重な資料として
すべてが昭和47年に兵庫県重要有形文化財に指定されました。

柳田國男とも所縁のある三木家
日本民俗学の父・柳田國男は、明治8年(1875)、
松岡家の6男として辻川に生まれました。
三木家と松岡家は、代々学問的交流があり、國男は11歳のとき、
1年間三木家に預けられました。
ここで國男は歴代の当主が収集した大量の書物と出会い、
この読書体験が後年、日本民俗学を生む基礎となりました。
9代拙二と國男は2歳違いであり、竹馬の友として
生涯にわたり親交を深めました。

大庄屋三木家の分家であった
当店の建物は、もともとは医師の持ち家であり、
大庄屋三木家の分家でありました。
当時の趣を残した状態で、イタリアンレストランに
リノベートしました。
食事を愉しみながらながら風情ある日本庭園を眺める事が出来ます。
庭園内では多数の植物の四季それぞれの変化が楽しめ、
季節によって違った雰囲気を感じる事が出来ます。
また、日中と夜とでも違った趣が感じられる庭園になっています。
四季折々の花木の一部をご紹介します
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ノジギク
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レモンの木
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ツバキ
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バラ
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ウメ
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ハゼ
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もみじ
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オリーブ
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山椒の木